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3.11震災から10年。これからも、ずっと、ぎゅっと。

3.11震災から10年。これからも、ずっと、ぎゅっと。

2021.3.11、東日本大震災から丸10年が経ちました。

あっという間…

大事なことは、頭の中が風化しないようにしないとですね。

 

震災直後、多くの人が誰かの力になりたいと思った

当時、未曾有の事態に被災地を案じ、何かお役に立てることはないかとソワソワしていた方も多かったのではないでしょうか。

私もその一人でした。

 

なんといっても、大変お世話になったクライアントさんが岩手にある。

いてもたってもいられずTwitterのDMで安否確認をしました。

まずはご担当者はご無事とのことでひとまずほっと胸をなでおろし、

しかし、沿岸では想像もつかないような事態で、まだ行方不明の社員がいるとのこと。

その事実に言葉を失いました…

 

はじまりは「IWATTE(イワッテ)」

岩手日報さんとの出会いは震災前年の2010年、

私が初めて一人前のアートディレクターとして参加したプロジェクト「IWATTE(イワッテ)」でした。

ネーミングやロゴなどのブランディングから始まり、毎月新聞広告を作っては思案してを繰り返し育てていった「IWATTE(イワッテ)」は、私にとっては子供のような、一生の思い出に残る仕事となっていました。

手塩にかけることの喜び知るチャンスを与えてくださった岩手日報さんには大きなご恩を感じていましたので、余計に「微力ながら、何かできることはないか…」と自分ゴト化していたかもしれません。

» IWATTE(イワッテ)を見る

“#prayforjapan” 新聞なら、被災地にも声を届けられる

東京に住んでいたとはいえ、連日のニュースに「これから日本はどうなってしまうのだろう…」と不安に感じていた私は、情報をTwitterに求めると、#prayforjapanというムーブメントが沸き起こっていることを知りました。

世界各国からの応援や励ましや日本人への賞賛の声があふれており、「日本人を誇りに思う」「遠くから祈っている」「頑張れ」そういったツイートを見て、私は本当に勇気をもらい、冷静さを取り戻したように思います。

 

…ですが、ハッとしたのです。

通信の途絶えている被災地沿岸には、この励ましのメッセージは届いていないんだ

 

新聞なら、メッセージを集めて掲載して、避難所に届けられるかもしれない!

そう思った私は早速岩手日報さんに提案しました。

しかし。

「今は難しい」

残念ながら、それが回答でした。

 

実はその時、新聞社の印刷工場は津波で浸水し、インクや紙にも限りがあり、他県にヘルプを求めて毎日の新聞を印刷している状況だったのだそうです。

たしかに今考えれば、その通りです。

生存安否に、余震情報。

人々が生きることに必死になっている時に、心温まるメッセージを届けている場合ではありません。

震災発生からわずか1、2日後のことでした。

 

IWATTE(イワッテ)の自粛

その頃、Twitterの岩手日報公式アカウントはまだ存在しなかったため、生存者情報などの緊急情報を知らせるために、「IWATTE(イワッテ)」のアカウントを代用することになりました。

しかし、名前が…「イワッテ=祝って」

もともとお祝い事がコンセプトのサービスだったため、どうにも震災後の状況には相応しくありませんでした。

そこで、Twitterの名前とアイコンを作り直すことにしたのです。

 

いわてのテとテ誕生

IWATTEのアカウント変更と並行して、震災から3日ほど経ったある日、

同僚でありご近所でもあった佐藤有美さんと、被災地に何かお役立てできることはないかとブレストしていました。

当時ウェブの仕事にも携わっていた彼女の知見を生かせば、以前提案したメッセージプロジェクトが実現できるかもしれない!

そうして、岩手日報の柏山弦さんがIWATTEから引き続きプロデューサーとして率いてくださり、具体的な話を進めることになりました。

 

走りながら考えるスタイルでプロジェクトはスタートし、すぐにチームを結成しました。

IWATTEでウェブプログラムを担当していたプラスプラス(当時)の林幹博さんと、サーバーを提供してくださったLivedoor(当時)さんを紹介してくださった増澤晃さん、モバイル(当時はまだガラパゴスケータイでした)のプログラミングにトライモア島尻智章さん。

私たちは連日徹夜で制作し、震災発生から17日後の3月28日、ようやく「いわてのテとテ」ウェブサイトが完成しました。

また、メッセージを広く集めるためにCMプロダクションのアンデスさんにご協力いただき、プロデューサー吉田裕さんとプロダクションマネージャー東美希さんをはじめたくさんのスタッフの皆さまと共に、アニメーションCMを制作しました。

新聞だけでなく、TVCMやYouTube、Twitterでの告知の甲斐あって、国内外からたくさんのメッセージが届くことになりました。

 

悩みに悩んだテーマカラー

まだまだ予断を許さない状況ではあったのですが、なんと震災からちょうど1ヶ月の4月11日に、新聞掲載をすることになりました。

 

当時、新聞は被災地の状況を伝えるニュースと写真に溢れていて、どんよりとしたモノクロの世界が広がっていました。広告も自粛モードで、ニュートラルカラーが多かった印象があります。

なので、震災直後の新聞広告として何色を選択するのが適切なのか…判断には相当悩みました。

 

新聞より先に立ち上げた「いわてのテとテ」ウェブサイトをデザインする時に一番悩んだのが、このプロジェクトの世界観を何色で表現するか、ということだったのです。

日頃行なっている仕事のブランディングでは、ブランドカラーを決めることは、一番重要な仕事の一つでもあります。今回はブランドではありませんが、もちろん役目は同じ。

大人しいほうがいいのか、

強いほうがいいのか、

元気なほうがいいのか…

悩みに悩んだ結果、岩手の豊かな自然をモチーフにして、やさしい空色と青、緑を選びました。

傷ついて不安でいっぱいの被災地の皆さまの、心の平安を祈って…

 

暗いニュースに溢れた新聞のページをめくると、ふっと現れる優しい世界。

心温まるたくさんのメッセージが、いい意味で異質に、温かく存在していました。

 

新聞は被災地の避難所や各家庭に届けられ、

ありがたいことに、その後、たくさんの感謝のお手紙が送られてきました。

 

みんなの想いが溢れた10年間の総集編

あれから10年。

あの時負った心の傷は、そう簡単には癒えないかもしれません。

私たちは寄り添うことしかできないけど、今年、21号目の「いわてのテとテ」は、10年間届いたたくさんの想いを振り返りました。

そして同日、3.11を県民の日として制定されたプロジェクト「大切な人を想う日に」

数千人の参加者と共にあの日の夜空を再現した「いのち新聞」も掲載されました。

たくさんの皆さんと共に、それぞれの大切な想いを込めて制作しました。

ぜひ、紙の手触りを感じながら、新聞で読んでもらいたいものです。

 

これからも、変わらずに、ずっと、ぎゅっと。