ごめんねの日
被災地には、些細なことから喧嘩したまま
家族や友人と永遠に別れることになってしまった人たちがたくさんいます。
「あのときはごめんね」を言いたい。
皆揃って口にするのは、何年たっても消えることのない、心からの後悔でした。
今は亡き大切な人に手紙を書きながら、涙がこぼれ落ちる被災者の方を目の前にして
私たちはこれからどう日々を過ごせばいいのか、問われるようでした。
3月11日を、大切な人に「ごめんね」をを言う日にもできたら。
自分が働いている間、母は障がいのある私の娘を育ててくれていた。
そんな中、母は一泊で東京へ行き、帰ってきて私に「(娘の世話が)大変だったでしょ?」と声をかけてきた。
母に迷惑をかけたくない想いから、つい「(お母さんが)いなくて(むしろ)よかった」と言ってしまった。
母は「そうか…いなくてよかったか」これまでにいちばん悲しそうな顔をしてつぶやいた。
そして、それが、最後になった。
仕事へ急ぐ自分に、母が心配して「急がずゆっくり運転して」と言ってくれた。
ついイラッとして「………」何も言わず、顔も見ず、怒りのままドアを強く閉めて出ていった。
そして、それが、最後になった。
2011年3月11日。
私たちが知ったのは、明日が来るのは当たり前ではない、ということでした。
3月11日を、一年に一度の「ごめんね」を言う日に。
※2018年より岩手日報本紙にて「3月11日を大切な人を想う日に」と署名活動を行い、
2021年、岩手県条例により『東日本大震災津波を語り継ぐ日』と制定されました。
- Client
- 岩手日報
- Producer
- 柏山弦、中村吉孝、小野寺真穂、高橋清基
- Creative Director, Copy Writer
- 河西智彦
- Art Director, Designer
- 横尾美杉
- Photographer
- 百々新
- Web Programmer
- 林幹博