MISUGI

いわてのテとテ
20. あのときの炊き出し

11年前。東日本大震災のあの日はとても寒く、
身を寄せ合う避難所で、1つのおにぎりを分け合ったという人が多くいたそうです。

極限の状況の中、心を救ったのは炊き出しでした。

炊き出しをもらった人、炊き出しをしに行った人から集めたメッセージは
新聞特別号外に掲載され、全国の人々に改めて、あのときの想いを届けました。

おなかも、胸も、いっぱいになった
あのときの炊き出し

いわてのテとテ 20. あのときの炊き出し|横尾美杉 アートディレクター
いわてのテとテ 20. あのときの炊き出し|横尾美杉 アートディレクター
いわてのテとテ 20. あのときの炊き出し|横尾美杉 アートディレクター
いわてのテとテ 20. あのときの炊き出し|横尾美杉 アートディレクター
いわてのテとテ 20. あのときの炊き出し|横尾美杉 アートディレクター
いわてのテとテ 20. あのときの炊き出し|横尾美杉 アートディレクター

メッセージ抜粋

 

「この先どうなるだろう」「なぜ、自分がこんな目に」と絶望感いっぱいでありながら、
なるべく感情を押し殺すように過ごしていた自分であったので、
炊き出しを食べながらこっそりと一人で震災後に初めて泣きました。
ささやかな優しさを受けたことで「生きていれば嬉しいこともある」ということを
思い出すことができました。
山田の漁師 45歳 山田町

 

当初、泥の中から拾ったお米などで始まった環境でしたので、
おしる粉の甘い香りと味がしみて、震災前の日常が走馬灯のように蘇りました。
岩崎昭子 66歳 釜石市

 

おにぎりを一個でも多く握りたい。
ろうそくとバイクのライトで照らしながら握った。
小野寺信子 73歳 野田村

 

終わりが見えず、まともに寝ることなんて無かった。心も体もしんどかった。
そんなときに食べさせてもらった炊き出しのご飯や豚汁、今まで食べたものの中で一番美味しいと思った。
つらいことが続いたが、その時だけは温かい気持ちになれた。
炊き出しを通じて寄り添ってくれる、その気持ちが何よりうれしかった。
saltboy 45歳 野田村

 

震災で住んでいた家は津波によって流され、すぐ近くの小学校まで避難しました。
とても寒く、空腹で、不安な気持ちでいました。
震災前は当たり前に食べていたパンと牛乳が
これほどありがたいと思ったことはありませんでした。
食べ物の大事さと人の温かさ、あの時の思いを自分の中で風化させずに
生きていこうと思います。
吉田 51歳 宮古市

 

全文を読みたい方はこちらから
» いわてのテとテ 公式サイト

Client
岩手日報
Producer
柏山弦、中村吉孝
Art Director, Designer
横尾美杉
Illustrator
小池アミイゴ
Web Programmer
林幹博
Special Thanks
投稿してくださった皆さま